「O.J.シンプソン事件」をみなさんはご存知でしょうか?

今回【世界法廷ミステリー】では、この事件を取り上げます。

この事件は、アメリカで英雄的存在であった元プロフットボール選手の

O.J.シンプソンが元妻とその交際相手である男性を惨殺という

とてもショッキングな事件です。

物的証拠や状況証拠が出ているにも関わらず、罪を認めないという

O.J.シンプソン。

どのような人物でどのような事件だったのか

調べてみました。

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O.J.シンプソンのプロフィール

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出典:http://www.newyorker.com

O.J.シンプソンは1947年7月9日にアメリカ合衆国カルフォルニア州

サンフランシスコに生まれます。

両親はアフリカ系のアメリカ人。

 

元プロフットボール選手で俳優。

愛称の“O.J”はアメリカ合衆国で“オレンジジュース”の略語。その事から

“ジュース”の愛称としても知られています。

 

フットボールのきっかけは、ガリレオ高校に在学中に高校の

アメリカンフットボールチーム“ガリレオライオンズ”に参加した事がきっかけ。

大学は南アフリカ大学に進学、1969年にプロフットボール選手として

“バッファロー・ヒルズ”のメンバーでプロデビュー。

 

引退後はプロフットボール殿堂入りをするという、優秀な選手でした。

そんな優秀な選手だったO.J.シンプソンは重大事件の容疑者になりました。

 

O.J.シンプソン事件とは?

1994年6月12日午後11時。

場所は“サウス・バンディ・ドライブ875番”のコンドミニアム。

当時、O.J.シンプソンの白人で元妻のニコール・ブラウンさんと

その友人で俳優志望のレストランウェイターの

ロナルド・ゴールドマンさんが何者かに殺害されます。

 

その惨状は凄まじいものだったようです。

ニコール・ブラウンさんは頸部を深々と切られ、後頭部を鈍器で挫創し、

手には抵抗した時に出来た切創。

ロナルド・ゴールドマンさんは顔、頸部、体、左大腿上部に

合計19カ所の切創。後頭部にも深い挫創。

このように2人は無惨な姿で発見されました。

 

この殺害状況から、犯人は右利きで、背後から頸部を切り、

それぞれを襲ったとされました。

また、現場には左手の革手袋が落ちていました。

 

この事件で容疑者として浮上したのが、今回の事件の注目の人物、

O.J.シンプソンでした。

 

 

後に刑事裁判では無罪に、民事裁判では、ロナルド・ゴールドマンさんの

殺人は認められます。

 

どうしてO.J.シンプソンが殺人容疑者とされたのか?

O.J.シンプソンが事件の容疑者として浮上した理由に、

O.J.シンプソン二よる“DV”(家庭内暴力)が絶えず、1992年に

2人の子供を連れて離婚。

その後もO.J.シンプソンによる嫌がらせが続いたと言います。

 

そして、事件発生の役1ヶ月前に

「別の男と一緒にいるのを見たら殺す!!」

と、脅迫します。

この経緯から警察は犯人はO.J.シンプソンと断定。

逮捕に踏み切ります。

 

この事件ではO.J.シンプソンが逃走のため、車で警察車両と

カーチェイスを繰り広げる、その模様がテレビ中継された事や

捜査員の“人種差別”的思想の過去や、人種差別問題も絡み、

アメリカ国内で非常な関心を集めます。

O.J.シンプソンは本当に2人を殺害したのか?

実は精神状態が正常ではなかった?

殺人を立証した経緯は?

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