今現在の職業と、幼い頃に就きたかった職業が

違うという方がほとんどではないでしょうか。

幼い頃から素晴らしい音楽の才能をもっていた

反田恭平さんもその一人でした。

そして、お父様はピアニストになる事を反対。

それを覆した事とは何だったのでしょう。

本当はサッカー選手を目指していた?

実はサッカー選手にないたいと思っていたという反田恭平さん。

ようやく首が据わった赤ん坊の頃に、サッカーボールに触れていたという

逸話まであるそうです。

 

そんな反田恭平さんは、地元のサッカークラブに所属していました。

しかし、小学校5年生の時、大事な試合で手首を骨折してしまいます

その事がきっかけで、ピアニストを目指す事に。

 

そう思った理由は「こんな痛い思いをしない職業を・・・」と考え、

ピアニストになる事を決めたそうです。

 

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プロのサッカー選手を夢見ていた反田恭平さんなのに、骨折をした事に

よって、ピアニストを目指すという事で、骨折した事が本当に痛かった

のでしょうね。

手首を骨折という事、想像するだけでもとても痛いですよね。

どうやら、この事がトラウマになってしまったそうです。

 

ピアニストを目指す為に条件が?

ピアニストになる事を決心した反田恭平さんは音楽学校へ

進学したいとご両親に打ち明けます

するとここで大きな壁が。

 

それは、ピアニストになる事をお父様が反対されたのです。

お父様はピアニストになる事を承諾する為に条件を出します。

それは

「音楽高校へ行きたかったら、

中学3年生までにコンクールで1位を取る事」

だったそうです。

この条件を出されたのは中学2年生の9月。

ピアニストになりたかったという事はもちろんですが、負けず嫌いな

反田恭平さんは、お父様を納得させる為に、半年間に行われたコンクールに

片っ端から出場し、見事1位を獲ってみせます。

お父様は、音楽高校に進学する条件として中学3年生までにコンクールで

1位を獲る事を条件に出していた為、渋々だったそうですが、音楽高校に

進学する事を認めたそうです。

その後、『第81回日本クラシック音楽コンクール』で1位を受賞。

高校生優勝は実に11年振りの快挙だったそうです。

負けず嫌いだからといって、ピアノのコンクールで1位を獲るという事は

なかなか出来るものではありませんよね。

ましてや、その期限がが半年。

やっぱり生まれもってして将来はピアニストになる事を約束されて

いたのでしょう。

その後、ロシアの名門「モスクワ音楽院」へ留学

2014年に首席でロシアの名門「モスクワ音楽学院」へ留学。

「チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽学院」へ留学のきっかけと

なったのは、ロシアの作曲家のラフマニノフの曲を弾いた事がきっかけ。

 

今まではロシアの音楽に興味が無かったそうですが、ラフマニノフの曲を

演奏した時にフィーリングが合ったそうです。

それがきっかけで、ロシア講師の授業を受けてみようと思った事が

きっかけだったのだそうです。

 

入学試験の際は、課題曲が3曲。

2曲目を弾いた辺りから、審査員がざわつき始め、最後の1曲は

弾かなくても良いといわれます。

 

他の受験者はみんな3曲とも演奏した中、反田恭平さんだけが

1曲を残したという事で、自分の演奏がそんなんも下手だったのか、

と不合格だろうと落ち込んでしまいました。

ですが、その後、合格のメールが来て、とても喜んだのだそう。

 

きっとあまりに凄い演奏の為に、審査員の教授達はざわめき、

最後の1曲を聴かなくても、もはや十分の実力をもっていると

見抜いたのでしょうね。

そんな反田恭平さんの才能に音楽院の教授人は大きな期待を

寄せているそうです。

ロシアでの生活や輝かしい賞歴や

素晴らしい演奏を動画で!!

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