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小林秀一は巨人指名拒否の理由や現在の職業は?成績や経歴、WIKIプロフィールが気になる!【消えた天才】

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小林秀一さんは巨人のドラフト指名を拒否したと言います。

今回、6月23日放送の『消えた天才』に出演します。

林秀一さんは野球のドラフトであの『読売ジャイアンツ』からの1位指名を断った人物。

大学時代の防御率は0,93という驚異的な数字を持つ投手。

また、全国大会で準優勝に導きました。

プロ野球の選手を目指している人なら、このようなことはまずないと言っても良いのではないでしょうか。

そんなプロ野球を目指す人達の憧れの球団『読売ジャイアンツ』のドラフト1位指名を拒否した理由とはなんだったのでしょうか。

そして、林秀一さんは今現在、どのような職業に就いているのか、成績やWIKIプロフィールなどをご紹介いたします。

小林秀一が巨人ドラフト指名を拒否の理由は?

小林秀一さんはドラフトで巨人1位指名を受けます。

その前に3球団からの指名を断っていた小林秀一さん。

にも関わらず“読売ジャイアンツ”の1位指名には驚いたそうです。

その上、当時の契約金が破格の3000万円の提示、現在の価値で約1億円に登りました。

そして巨人といえば野球をしている方達の間では、憧れの球団のはず。

今回のオンエアによると、小林秀一さんが当時好きな球団は“読売ジャイアンツ”だったそう。

ですが、小林秀一さんはこの1位指名を拒否したのです。

その理由はどうしてなのか。

それは

“教員になり、アマチュア野球の指導員になること”

を希望していたからでした。

当時はプロ野球選手として活躍後にアマチュア野球の監督になることは許されていなかったのです。

とはいえ、あの『読売ジャイアンツ』からの1位使命であったことで、少し心が揺れたと言います。

しかし、

プロ野球に入団してしまうと野球ばかりの生活になってしまいまう。

そんなことは望んでいない。

そのことを望んでいなかったのです。

そして野球の指導者にこだわった理由にある出来事があったのです。

それは高校時代のこと。

当時の木村健一監督にありました。

当時の小林秀一さんはコントロールが定まりませんでした。

そんな時、木村健一監督から

オーバースローからアンダースローへのシフト

という指導が。

小林秀一さんの不調は、身体やクセにあると見抜いていたのです。

指導の通りにアンダースローへシフトすると、コントロールも定まり、『読売ジャイアンツ』からドラフト指名されるような凄い投手になったのです。

この事で小林秀一さんは指導の大切さ、そして素晴らしさを知り、

将来、木村健一監督のような指導者になりたい

と決心。

後の『読売ジャイアンツ』からのドラフト1位指名を断った理由でした。

小林秀一は現在の職業は?

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林秀一さんは現在どんな職業についているのでしょうか。

2007年より『愛知学院大学』で教養部教養部本属の准教授に就いています

この大学では1987年から15年間、野球部監督に。

監督期間中に12度の優勝を果たしていますが、脳梗塞で倒れ、監督を退任しました。

また、大学に勤める前の役8年間は『熊谷組』で野球部に所属し、活躍しています。

小林秀一の成績や経歴

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小林秀一さんの成績や経歴のご紹介です。

主な成績

・1969年 『夏の甲子園大会』予選/決勝進出

・1973年 『愛知学院大学』野球部時代に春季リーグで8勝

10季ぶりの優勝に貢献し、“最優秀選手”に選ばれる

・同年 『全日本大学野球選手権大会』準優勝

・同年 『第2回 日米大学野球選手権大会』日本代表

・同年 『プロ野球ドラフト会議』で“読売ジャイアンツ”より1位指名

のちに入団拒否

・同年 『熊谷組』入社

・1974年 『都市対抗野球』で同社の野球部で活躍

・1977年 『都市対抗野球』決勝進出

・1979年 『都市対抗野球』決勝進出

・『熊谷組』を入社8年目にして退職。

・1987年 『愛知学院大学』野球部監督に就任

“愛知大学野球リーグ”で15年間に12度の優勝を果たす

 

主な経歴

・1967年 『八代第一高等学校』(現:秀岳館高等学校)進学

・1970年 『愛知学院大学』進学

・大学卒業後 『熊谷組』入社

・1987年 『愛知学院大学』事務局 大学事務局/庶務課・野球部監督

・1988年 同大学 教養部 教養部本属 助手

・1991年 同大学 教養部 教養部本属 講師

・1994年 同大学 教養部 教養部本属 助教授

・2007年〜 同大学 教養部 教養部本属 准教授

現在、野球部監督は後進に任せ、教壇に立っています。

小林秀一の年齢やWIKIプロフィール

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小林秀一の年齢やWIKIプロフィールについてご紹介です。

林秀一さんはこんな人

・名前 小林秀一

・生年月日 1951年4月20日

・出身地 熊本県天草郡大矢野町(現:上天草市)

・ポジション 投手

・最終学歴 『愛知学院大学』・体育学修士

小林秀一さんの年齢は68歳(2019年現在)

野球を始めたのは小学生から。

野球の才能を認められ、高校は『八代第一高等学校』(現:秀岳館高等学校)進学し、寮生活を始めます。

1年生の頃のフォームはオーバースローでしたが、制球が定まりませんでした。

このことを悩んでいたところ、当時の木村健一監督のアドバイスによりアンダースローへ転向。

制球が定まり、みるみるうちに地元マスコミから八代第一に小林あり”と呼ばれる名投手となったのです。

まとめ

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小林秀一さんが“読売ジャイアンツ”からの1位指名を断った理由が深かったですね。

プロ野球選手を目指している人にとって“読売ジャイアンツ”からのドラフト指名は夢の話。

それよりも、恩師の指導が優っていたということですね。

そんな風に思ってもらえていた木村健一監督は嬉しかったでしょう。

その反面、小林秀一さんがドラフトを断ったことを少なからず残念に思っていたかもしれません。

小林秀一さんは、現在でも、ドラフトを断り、野球人の育成のm地を選んだことには後悔していないとのこと。

ただし、現在のように、プロ野球出身の選手、のちに野球部の監督として指導ができるような規定になっていたならば、ドラフト1位指名は断っていなかったと思う、とも語っていましたね。

現在は野球部の監督から離れていますが、今だにスポーツに関係した職業に就いているようですが、これからもスポーツ界の発展に頑張ってほしいと思います。

では今回はこの辺で。

みなさん本日もご訪問いただきまして

ありがとうございました。

またのご訪問をお待ちしております。



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