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杉田孝明の経歴
杉田孝明さんの主な経歴のご紹介です。
・1991年 『千葉県商業高等学校』を卒業(生年月日より推測)
・同年 『日本橋蛎殻町 都寿司』に就職
・2004年『日本橋橘町 都寿司』を開店
・2015年 店舗を移転。『日本橋蛎殻町 すぎた』を開店
現在に至る
杉田孝明さんは高校時代のアルバイトから現在に至るまで寿司職人一筋。
心の底から寿司職人という仕事が好きなのですね。
まさに寿司職人は杉田孝明さんにとって“天職”と言えるでしょう。
杉田孝明の修行時代
杉田孝明さんはどんな修行をしてきたのか見てみましょう。
入社1年目・・・出前を担当。
2年目・・・仕込みの手伝いでコハダの頭を落としたり、鱗を引かせてもらうように
3年目・・・白味魚を卸しや、大きめの魚の捌き
4年目・・・巻物、アナゴの仕込み
5年目・・・仕込みを一通りできるように
この後、少しずつ鮨を握ることになり、出前や宴会のコース料理の担当をさせてもらうようになります。
これらの仕事の中でスキルを磨き、8年目にしてようやく“つけ場”を任されることとなります。
つけばを任されるまでに8年という月日が長いのか短いのかわかりませんが、やはり職人の世界ではある程度の仕事を任されるまでにこれだけの月日がかかり、本当に大変な職業ですね。
途中で辛くて辞めてしまう人も多い職人の世界。
杉田孝明さんが寿司職人になりたいという気持ちはとても堅いものだったのですね。
杉田孝明が独立最初の店舗は過去に2度も廃業
杉田孝明さんは、独立することとなりますが、始めて店を構えた店舗が過去に2度も廃業していました。
その店舗の名前は『東日本橋 都寿司』。
名前からもわかるように杉田孝明さんの先輩が暖簾分けで始めた寿司店。
しかし、杉田孝明さんが修行をし始めて2年目に独立した先輩がこの寿司店を開きますが、7年で廃業。
その後も杉田孝明さんと先輩の間にいた人がそこで寿司店を開くも3年半で廃業してしまったのです。
そんな店舗ですので、売りに出しても買い手がつきませんでした。
杉田孝明さんは次のステップへ進むために、『都寿司』を辞めるか迷っていました。
そんな大晦日の12月31日。
親方よりこの店舗を安く売ってくれるという話が。
しかしながら、店を買い取るか否かの返事は正月の2日までという期限付き。
実家へ帰り、家族と相談。
この店を買い取ることに決めたのです。
この店舗で寿司屋を始めようとした時
「都寿司という店名はやめたほうがいい」
と言われます。
確かに、過去に2度も先輩が廃業しているのですから、そのアドバイスには頷けます。
ですが親方の口から
「都寿司じゃなくなったら寂しいな」
という言葉を聞きます。
ならばと、とても尊敬している親方が悲しむ姿を見ることは嫌だった杉田孝明さんは、
“東日本橋”から昔の町名の“日本橋橘町”を屋号にし、『日本橋橘町 都寿司』として店を開店しました。
開店の3年目までは厳しい状況が続きましたが、その後の某雑誌の鮨職人の特集で取材を受け、そのことをきっかけに客足が伸びました。
また2015年には、奥さんの父親が倒れ、経営していた洋食店を辞めることに。
それを機に、この洋食店を改装し移転。
『日本橋蛎殻町 すぎた』を開店し、現在に至ります。
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杉田孝明(鮨職人)『日本橋蛎殻町 すぎた』予約方法や場所、料金について
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杉田孝明が寿司職人を目指したきっかけ
杉田孝明さんが寿司職人を目指したきっかけは、あるテレビドラマで主人公が寿司屋に弟子入りし、一人前の寿司職人になるというドラマを観たこと。
これを観て
「寿司職人ってかっこいいなぁ」
と思うように。
特に寿司職人に憧れた理由は
・職人の曲がったことが嫌いという生き方
・寿司を握る所作の美しさ
でした。
高校生の時、たまたま寿司屋でバイトしていた友人が辞めることとなり、その後を引き継ぐように念願の寿司屋でアルバイトをすることに。
そして高校に来ていた求人に12年務めることとなる『日本橋蛎殻町 都寿司』がありました。
杉田孝明さんは、その親方の人柄と魅力に引かれ、面接当日に即決。
独立をする28歳までこの寿司屋で修行をします。
その素晴らしい親方は現在『全国すし商生活衛生同業組合連合会』の会長をされているとのことです。
杉田孝明の年齢やWIKIプロフィール
杉田孝明さんの年齢やWIKIプロフィールのご紹介です。
杉田孝明さんはこんな人
・名前 杉田孝明
・生年月日 1973年
・出身地 千葉県
・最終学歴 『千葉県商業高等学校』
杉田孝明さんの年齢は46歳(2019年現在)
杉田孝明さんは先ほどもご紹介しましたが、高校を卒業後、『日本橋蛎殻町 都寿司』に就職。
そこから12年間修行。
28歳で独立。
『日本橋橘町 都寿司』を開店。
独立の10年後、洋食店を経営していた妻の父親が病に倒れ、閉店。
その店舗を改装し、『日本橋蛎殻町すぎた』を開店。
今現在、予約の取れない寿司店として高い評価を受けています。
杉田孝明の寿司店『日本橋蛎殻町 すぎた』の評判
杉田孝明さんは毎朝、豊洲市場に自ら足を運び、旬の魚、約20種類を買い付け、6人の弟子と仕込みをしています。
寿司の握り方、切りつけにも工夫を凝らし、仕込みも丁寧に行います。
このように手間暇をかけた仕込み、江戸前寿司の伝統を受け継ぎ、さらに発展させた寿司や料理がとても高く評価されています。
また下記のような素晴らしい評価も得ています。
・2019年
食べログ評価 4,8
・2018年
全国鮨ランキング 2位
・2018年
ミシュラン 一ツ星
『食べログ』に関しては2019年まで3年連続で
“The Tabelog Aword”で金賞
を受賞という快挙を成しています。
杉田孝明(寿司職人/すぎた)経歴や学歴、年齢とWIKIプロフィール!寿司職人のきっかけが気になる!のまとめ
杉田孝明さんの鮨職人に対する情熱と親方に対しての尊敬がとても素晴らしい方でしたね。
鮨職人を目指すきっかけがテレビドラマだったとは。
高校時代の友人が寿司屋でアルバイトしていて、その後を引き継いだという出来事は、偶然ではなく、必然的に起きたと言えるかも知れませんね。
寿司店がなかなか軌道に乗らず、大変な時期もあったようですが、そんな時でも諦めず、ひたすらお客様に喜んでいただくことを第一に考えた仕事ぶりが、今現在の予約が取れない店へと成長させたのでしょう。
この姿勢の原点は『都寿司』の大将の姿があるとのこと。
杉田孝明さんには『都寿司』の大将に負けないような素晴らしい寿司職人になってもらいたいと思います。
では今回はこの辺で。
みなさん本日もご訪問いただきまして
ありがとうございました。
またのご訪問をお待ちしております。