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高山良二の経歴や妻、WIKIプロフィール!現在も地雷撤去の場所や活動をアンビリバボーで!

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高山良二さんはカンボジアで地雷除去と地域復興支援活動を行なっている。

今回、『奇跡体験!アンビリバボー』で高山良二さんの半生を紹介する。

あなたはカンボジアの内戦についてご存知だろうか?

カンボジアは1970年から20年以上にわたって内戦が続き、国土が荒廃した。

現在ではアジアの中で年7%の経済成長を誇るまでに成長したが、未だ地雷や不発弾がそこら中に埋められており、人々の暮らしは不安を拭えない。

そんな土地で人々の支援に奮闘する高山良二さんが今回の主人公だ。

高山良二さんはどんな人物で、彼を支える妻や活動などを紹介する。

高山良二が出演『アンビリバボー』放送内容

高山良二さんが出演の『アンビリバボー』放送内容がこちら。

定年を迎えた一人の日本人男性がある国を変え、世界をも変えた!

2002年に定年を迎えた一人の日本人男性。彼はある想いを抱えていた。
それは「カンボジアに行きたい」というものだった。男性は、2002年まで自衛官として勤務しておりカンボジアの悲惨な状況を目の当たりにしていた。
一番の問題である地雷、不発弾は600万個あるとされ、それにより畑を耕すことができず人々は貧しい生活を余儀なくされた。男性は地雷、不発弾を処理する技術がありながらも自衛官としての任務に含まれなかったことから人々を救うことができなかった。そんな葛藤を抱えながら退官したのちわずか3日後にはカンボジアに旅立ったのである。
しかし、数々の試練が男性を待ち受ける。
国を変えようとした男性の激動の半生!それを支える妻!
男性が下した決断が世界を変える!

出典:『奇跡体験!アンビリバボー』公式HP

高山良二の年齢やWIKIプロフィール

高山良二さんの年齢やWIKIプロフィールについて。

高山良二について

・名前 高山良二

・生年月日 1947年

・出身地 愛媛県北宇和島郡三間町(現:宇和島市)

・最終学歴 高等学校

・職業 認定NPO法人『国際地雷処理・地域復興支援の会』理事長兼現地代表

高山良二さんの年齢は72歳(2019年現在)

家族構成など詳しいことは残念ながら不明。

高校を卒業すると、陸上自衛隊に入隊。

定年で退官後は、1年の大半をカンボジアの地雷原の村で過ごし、村人と地雷処理、村の自立など地域復興に尽力している。

『地雷処理専門家』であり、“カンボジア王国CMAC地雷処理技術顧問”、“カンボジア王国バッタンバン州復興支援担当”、“カンボジア王国タボンクモン州復興担当顧問”でもある。

また、東大寺で僧侶“補 権律師”という地位を得ている。

高山良二の経歴

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高山良二さんの主な経歴の紹介しよう。

主な経歴

・1966年 陸上自衛隊に入隊

・1992年 カンボジア『PKO』に参加

・2002年5月 陸上自衛隊を定年で退官

・同年 『日本地雷処理を支援する会(JMAS)』に参加

カンボジア現地副代表として現地で不発弾処理活動

・2004年9月 帰国

地元で『JMAS』の広報活動・地雷処理事業の立ち上げの準備

・2006年2月 再びカンボジアへ

地雷処理事業立ち上げのための調査を行う

・2006年6月 バタンバン州で『住民参加型地雷処理活動』を実施

・2010年12月 『JMAS』を退任

・2011年2月 カンボジア王国中央政府機関『CMAC』(カンボジア地雷対策センター)より地雷処理技術顧問に任命

・同年 カンボジア王国バッタンバン州議会により、復興担当顧問に任命

・同年7月 NPO法人『国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)』設立

・2014年6月 カンボジア王国クボンクモン州議会より復興担当顧問に任命

高山良二さんの経歴も素晴らしいが、カンボジアでのこれまでの活動をたたえ、2013年6月にカンボジア政府から表彰をされている。

この他にも、広い分野から様々な賞を受賞している。

高山良二は定年の3日後、カンボジアへ。場所や理由は?

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高山良二さんは“再びカンボジアへ”という想いを叶え、2002年にカンボジアへ。

高山良二さんが再びカンボジアへ戻った理由はなんだったのか。

1992年、自衛官として“国連平和維持活動”カンボジアへ赴任。

そして6ヶ月後に帰国するときだった。

高山良二さんは自問する。

「自分は、この半年間何ができただろうか?」

と。

その答えは

「何もできなかった」

で、あった。

そして

「もう一度ここに戻ってこよう。

そしてやり残したことをやろう」

と、自分に誓ったのだ。

高山良二さんは、2002年に自衛官を定年退官。

その3日後には『NGO』の一員としてカンボジアへと旅だった。

高山良二は一時帰国していた。その後活動再開も厳しい現実が

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高山良二さんは2002年に再びカンボジアへ。

高山良二さんはプノンペンに着くと、地雷除去の活動の立ち上げを、カンボジアの政府機関『CMAC』と実施。

その時に希望したのは

「地雷は一番多く埋設されていて、最貧困の村で活動したい」

この希望から、カンボジアの北西部にあるバッタンバン州カムリエン郡タサエン地区へ。

その村は酷い状態であった。

人口は7,000人。

村人には地雷被災者が多く、道路も整備されていない。

地雷は、畑や民家というあらゆる場所に埋まっているという状態。

村人たちは僅かな畑で農業を営んでいたが、働く場所がないために、女性は隣国へ売られて行くという現実があった。

また、村の人々の間にはエイズやマラリア、デング熱が多発。

そんな最中、赴任2週間が経った頃、高山良二さんの身に思いもよらぬことが起こる。

高山良二を病が襲う

高山良二さんは突如として、不安定な精神状態に陥ったのだ。

不発弾処理は開始できたものの、高山良二さんの専門分野である地雷処理の活動開始の見通しがつかなかったのだ。

このことが高山良二さんの精神状態を不安定にさせたようだ。

それでも高山良二さんは現地に留まった。

しかし、最悪な状況がついにやってきた。

それは2004年9月。

精神状態が限界になり、一時帰国を余儀無くされたのだ。

この時、高山良二さんは辛く大きな挫折感を味わうこととなる。

高山良二は一時帰国。のちに再開も厳しい現実が

帰国した高山良二さんは、治療と地雷処理の活動ができる手立てがないか模索する。

そして1年3ヶ月後、そのチャンスが巡ってきた。

高山良二さんは再びカンボジアへ。

2006年5月、ついに『住民参加型地雷処理活動』をバッタンバン州で開始。

高山良二さんの念願であった自身の地雷処理の知識を活かすことができるように。

しかし、厳しい現実が待っていた。

それは2007年1月19日に起こった。

対戦車地雷の爆発事故で、7名もの隊員の尊い命が奪われた

このことで高山良二さんは事故の責任は全て自身にあるとし、

「遺族や村の方たちに謝罪するとともに、彼らの業績をなとしても後世に伝えたい」

そう考え、活動を中止することなく、継続。

現在では、高山良二さんたちの活動が内外から評価されるようになり、活動を支援してくれる人々が現れ、そのお陰で地雷除去だけでなく、学校の建設や道路事業、井戸の建設など地域復興支援活動も行うまでになっている。

高山良二が結婚の妻が活動の支えとなっていた

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実は、高山良二さんは『NGO』を辞めている。

しかし、それには大きな理由があった。

その理由は妻

これまでの活動を後押ししてくれたという妻が理由で『NGO』を辞めているのだ。

その理由は

妻の病気

ある年の暮れ、妻が突然倒れた。

病名は脳腫瘍

一時危篤となるが、幸いにも手術が成功し、元気を取り戻した。

高山良二さんはこのことで『NGO』を辞めることに。

今まで支援活動を応援してくれた妻へのせめてもの恩返しとして、妻の側にいることが最善であると考えたのであろう。

だが、高山良二さんは、カンボジアの人々への想いを断ち切ることはできずにいた。

これまで支えてくれた人々と相談し、再びカンボジアへ戻ることとなった。

この人々の中に高山良二さんの妻もいたのではないだろうか。

このことに関しては、今回の『奇跡体験!アンビリバボー』の中で明らかにされることであろう。

高山良二は“クラウドファンディング”で資金を募る

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高山良二さんは、2016年にカンボジアに眠る600万個の地雷から村人の命を守りたい!”と“クラウドファンディング”で寄付金を募った

結果は

300万円の目標に対し、終了時(2016年7月)には約603万円

この後、活動資金の寄付は“クラウドファンディング”で募っており、今回も2019年5月30日には、“クラウドファンディング”により237人から支援金334万円の寄付金を集め、カンボジアの地域復興支援活動に役立てている。

地雷除去や地域の復興支援には最低でも活動費が300万円はかかるという。(実際には600万円ほどが必要)

高山良二さんの活動を支援したい方は、ぜひとも“クラウドファンディング”で協力していただければと思う。

高山良二の現在の活動

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高山良二さんは、先ほどご紹介したように、現在でも一年のほとんどをカンボジアで過ごしている。

地域復興支援の一つとして村で育てているキャッサバ芋を原料とした焼酎の製造と販売を発案から9年の時を経て実現した。

その焼酎の名前は『ソラークマエ(赤)』だ。

この焼酎を作るきっかけを高山良二さんは次のように語っている。

「劣悪な環境で、村人は生きるためにキャッサバ芋を植え、タイに安価で売っていました。

この芋に付加価値を乗せ、村人の収益を上げられないかと考えたことが、焼酎を作るきっかけです」

この開発には、高山良二さんの地元である愛媛県の酒造メーカー『桜うづまき酒造』が協力している。

尚、『桜うずまき酒造』は製造のノウハウを提供しただけで、実際に『ソラークマエ』の販売はしていないので注意

『ソラークマエ』は下記サイトで販売しているとのことなので参考にしていただければと思う。

・『ソラークマエ』購入はこちら→ソラークマエ取扱い販売サイト

焼酎のノウハウを提供した『桜うずまき酒造』のHPも併せて参考にしてほしい。

・焼酎のノウハウ提供の酒蔵はこちら→桜うずまき酒造』HP

また、高山良二さんは日本各地で講演活動を行い、カンボジアが今も尚、地雷によって人々が苦しんでいることや、復興支援活動についてなどについて情報発信している。

まとめ

高山良二さんは現在もカンボジアの人々が少しでも平和にそして幸せに暮らせるよう尽力している。

いつの日か高山良二さんはタサエン村で“おじいさん”を意味する“ター”という愛称で呼ばれるように

村の人々が高山良二さんのことを家族の一員のように接しているということであろう。

このことから高山良二さんと村の人々の間には計り知れない絆が結ばれていることがわかる。

これからも高山良二さんの活動に目が離せない。

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